テレピン油が金継ぎに使われる理由とは?化学物質を一律に拒絶する風潮についての疑問。

天然弁柄の製造工程

金継ぎを含む漆芸では、漆の流動性を高める添加剤として、伝統的には樟脳、片脳油(樟脳油)が使われてきました。江戸後期にはその記録が残されており、少なくとも江戸中期には漆芸の技術体系に組み込まれていたと考えられます。しかし、現在はこの樟脳、片脳油(樟脳油)に加え、テレピン油、灯油、シンナーなども使われています。この中で、金継ぎをされている方にとっていちばん身近なのは、やはりテレピン油ではないでしょうか。

まずは、以下の表をご覧ください。

溶剤 歴史 扱いやすさ 安全マージン 価格 入手のしやすさ
樟脳(天然) ★★★★★ ★☆☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★★☆☆
片脳油(樟脳油) ★★★★★ ★★★★☆ データなし ★★☆☆☆ ★★★☆☆
テレピン油 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
灯油 ★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★
シンナー ★☆☆☆☆ ★★★☆☆ データなし ★★★★☆ ★★★★★

※安全マージン:公的な曝露基準や安全性情報、一般ユーザーが通常の使用条件で扱う際のリスクを総合的に考慮した目安
※扱いやすさ:使用する際の匂いや保管なども考慮に入れています

歴史の長さで言えば、国内生産だけでも400年以上の歴史がある樟脳や片脳油に軍配が上がります。とは言え、樟脳は添加する前に加熱してパウダー状する必要があるなど、専門知識がないと安全性を含め、取り扱いが極めて難しい。
その点、天然由来でありながら、バランスも取れているのがテレピン油です。扱いやすく、極端に間違った使い方をしなければ安全性に問題もなく、入手しやすくて価格もお手頃。一般の方が自宅で作業することを想定すれば、これがもっとも妥当な選択肢ではないでしょうか。金継ぎセットを販売している漆精製メーカー5社のうち4社がテレピン油を採用しているのも頷けます。※詳細はこちら

ただし、これはテレピン油が漆の溶剤として、もっとも優れているという意味ではありません。「一般の方が自宅で作業する」という前提では、テレピン油がいちばん合理的な最適解になるということです。もちろん、有名無名を問わず、プロの金継ぎ職人の多くもテレピン油を採用しています。また、逆に「揮発が遅いから作業しやすい」といった理由などで、灯油や樟脳、片脳油を使う職人さんもいます。

まれに「テレピン油は金継ぎの伝統技法に含まれない」といった声を耳にすることはありますが、これまでにも解説してきたように、伝統的には樟脳・片脳油を添加して漆の流動性を高めてきました。それが、時代とともに入手のしやすさや扱いやすさ、価格などの条件が変化する中で、テレピン油などに置き換わっていっただけのことです。

そして、漆芸における材料の変化は、テレピン油のような溶剤だけではありません。

絵漆に使われる弁柄が、じつは化学物質だった?

古来から一貫して利用されてきた天然の素材のみを使うことが本来の金継ぎであり、伝統であると主張する金継ぎ事業者をよく目にします。しかし、漆芸に使われる材料は科学技術や安全性評価の進化にともない、時代とともに更新されてきました。そのため、「昔から使われてきた天然素材だけを使う」という考え方は、現在の実態とは必ずしも一致しません。

その代表的な例が、絵漆などに使われる弁柄。現在、漆芸分野で使われている弁柄のほとんどは、顔料メーカーの工場で大量生産されている人工酸化鉄です。世界遺産にも登録されている首里城の復元・修復など、文化財の修復においても天然弁柄に加え、色彩を安定させるために人工酸化鉄を混ぜて使用しています。

弁柄そのものは、縄文時代から使われてきた伝統的な顔料。しかし、だからと言って、漆屋さんなどで販売されている弁柄漆や絵漆に使われている弁柄が、天然素材だとは限りません。現在、流通している弁柄の多くは、化学的な製法によって製造された酸化鉄顔料です。

では、なぜ弁柄は時代の流れとともに人工酸化鉄に置き換わったのでしょうか? 備中・吹屋(現岡山県高梁市成羽町)は、1704年頃から弁柄製造の一大産地として発展しました。しかし、昭和40年代になると、製造途中で排出される硫酸ガスや廃水による公害が原因で製造中止に。現在では、湿式法によって高純度の弁柄が化学的に製造されています。

つまり、弁柄は公害や科学技術の発達などを背景に、天然の鉱物を原料とする顔料から、化学的に製造された酸化鉄顔料へと移行してきたのです。「天然=ひとと自然にやさしい」「人工=危険」という単純な図式は、時として私たちを非常に視野の狭い迷信に陥らせます。鉱山での仕事は労働者を危険にさらすことがありますし、鉱物を採掘するとなれば、周辺の自然環境への影響も避けられません。

公害とレーキ顔料の登場に翻弄された古代の赤(水銀朱)

弁柄と並び、古代から使われ続けてきた赤に朱砂(辰砂、丹砂)というものがあります。これも、現在はほとんど使われなくなった顔料のひとつ。あまり馴染みがないと思いますので簡単に色味を説明すると、弁柄のやや黒ずんだ赤に対し、朱砂はパキッとした鮮やかな赤です。かつて、弁柄からつくられる赤は「そほ」と呼ばれ、朱砂からつくられる赤は「まそほ」と呼ばれていました。つまり、正真正銘の赤という意味です。その正体は、自然の中で水銀と硫黄が結びついてできた鉱物であり、硫化水銀(HgS)と呼ばれるもの。

この朱砂は、縄文時代から現代に至るまで、非常に長い期間にわたり顔料として使われ続けてきました。その主成分である硫化水銀は無機水銀化合物の一種で、メチル水銀などの有機水銀化合物と比べて生体への吸収性が低く、毒性も異なります。労働安全衛生法に基づく特定化学物質障害予防規則(特化則)において、水銀および無機水銀化合物は規制対象ですが、そこには「硫化水銀を除く」とはっきり明記されています。つまり、この職業性曝露規制の対象からも朱砂、つまり水銀朱は外れているのです。

にも関わらず、この美しい赤色を醸し出す朱砂(水銀朱)は、漆芸の第一線から退きます。その理由のひとつが、水俣病などの公害を通じて「水銀=猛毒」という社会的イメージが定着し、水銀を含む材料が公共工事や食器などに使いにくくなったと考えられること。そして、もうひとつの理由が、より安価で扱いやすく、表現できる色彩の幅も広いレーキ顔料が登場したことです。現在、漆屋さんで売られている「朱」の多くは、朱砂(水銀朱)に似せてつくられた合成染料のレーキ顔料が使われています。

とは言え、この水銀朱については現在でも真の赤、「まそほ」を求める漆芸作家が使うことはあります。また、春日大社の式年造替では今も本殿4棟と若宮神社に限り水銀朱が使われ続けています。そのため、完全になくなった訳ではありません。

歴史の表舞台から完全に姿を消した幻の黄色(石黄)

一般的ではなくなったとはいえ、水銀朱が現在も使われ続けているのに対し、同じく天然鉱物である石黄になると話はまったく変わります。江戸後期に書かれた『塗物伝書』にも「雌黄」として色漆のレシピに記載されているように、石黄は歴史的に黄色の顔料として使われてきました。しかし、この石黄は歴史の表舞台から完全に姿を消します。今、手に入れられるとしたら鉱物としての標本くらいでしょう。

石黄、つまり硫化ヒ素化合物が使われなくなったのは、その危険性によります。厚生労働省「職場のあんぜんサイト」によると、長期または反復曝露により、消化器系、循環器系、神経系、腎臓、肝臓、血液系、呼吸器系、皮膚に障害が生じると報告されています。さらに、厚生労働省「平成20年11月の特定化学物質障害予防規則等の改正」では、砒素及びその化合物(アルシンおよび砒化ガリウムを除く)は「特別管理物質」に分類されました。「特別管理物質」というのは、発がん性がある、またはその疑いがある物質を指定するものです。

こうした例が示すように、「伝統的な素材=体に良い」という図式は成り立ちません。むしろ、伝統的に使われてきた天然由来の材料でも、科学の発展によってその重大な危険性が発覚するということだって、往々にしてあるのです。

黄金ありといえども、水銀なければ仏身は成りがたし

朱砂(水銀朱)の話が出たので、もうひとつ面白いエピソードをご紹介しましょう。修学旅行の定番中の定番、奈良の大仏。ここにも朱砂(水銀朱)が関係しています。実際に見たことがある方は、銅でつくられているというイメージが強いのではないでしょうか。しかし、757年(天平勝宝9年、のち天平宝字元年)の完成時には、なんと全身に金が施されていたのです。黄金に輝く巨大な仏像。まさに荘厳だったことでしょう。

こと金継ぎ業界においては、特に「古来から受け継がれてきた伝統技法=天然素材を使ったひとにやさしい技術体系」というステレオタイプな考え方が蔓延しているように見受けられます。果たして昔の人々は、いわゆる化学物質をつくる技術がなかったのでしょうか。本当に、そんなサステナブルなモノづくりばかりしていたのでしょうか。

結論から言うと、決してそんなことはありません。奈良の大仏が建立されたのはおよそ1300年前。では、そんな大昔に、いったいどのようにして5階建てのビルに相当するくらいの巨大な仏像を、頭のてっぺんから足のつま先まで、すべて金色に輝かせることができたのでしょうか? もしかすると、「伝統技法=天然素材+手仕事」だと思い込んでいる人々は、漆や膠などを使い、熟練の職人たちが金槌で叩いて薄く伸ばした金箔を、一枚一枚卓越した技術で貼っていったと考えるかもしれません。しかし、それは間違いです。

奈良の大仏は、水銀と錬金(こながね)の割合が5:1のアマルガム(水銀と金の合金)を巨大な仏体の表面に塗り、その後に炭火で水銀を蒸発させて金を定着させています。これを、アマルガム鍍金と言います。なんという化学。しかも、これを実現させるためには、まず金鉱石から金を精錬しなければなりません。そこで、必要となったのが朱砂(硫化水銀)であり、この硫化水銀から水銀を精錬する技術も必要でした。

そもそも黄金ありといえども、もし水銀なければ、すなわち仏身は成りがたし。

東大寺が再興された際の記録にはそう記されていますが、まさしくその通り。水銀がなければ、金鉱石から金を精錬することも、大仏にアマルガム鍍金を施すこともできなかったのです。

しかし、すでに大仏殿が建設されていたこの作業は屋内でおこなわれた可能性が高く、高濃度の水銀蒸気を曝露した職人たちの間に不思議な病気が蔓延したと伝えられています。それが真実であれば、まさに水銀中毒。そう、「昔の技術」は必ずしも安全でもなければ自然派でもなく、ひとにやさしい訳でもないのです。また、化学物質や化学技術を使っていなかった訳でもありません。

危険なのは化学物質を無条件に拒絶する思考停止そのもの

テレピン油から弁柄、朱砂(水銀朱)、石黄まで、漆芸材料が変移してきた動機はそれぞれに異なります。樟脳・片脳油からテレピン油への置き換えは、扱いやすさや安全マージン、価格が主な要因でした。そして、天然弁柄は発掘・製造時の公害問題。朱砂(水銀朱)は、水俣病に端を発する水銀への社会的な拒否反応とレーキ顔料の台頭。石黄は非常に強い毒性が判明したため、問答無用で歴史から退場させられたという流れです。

つまり、理に適った理由があるにも関わらず、それぞれの背景を考慮に入れることなく「化学物質(人工的につくられた合成物質)」というひとつの言葉でくくり、一律に拒絶する思考停止。危ういのは、化学物質そのものではありません。この人間側の態度です。

ましてや、その「化学」は現代になって初めて漆芸に持ち込まれたものですらありません。江戸後期の『塗物伝書』には、紫蘇やクチナシから抽出した色素を、焼ミョウバンで沈殿させて不溶化し、膠で定着させるという色漆の顔料レシピが記されています。これは、水溶性の染料を金属水酸化物に吸着させて不溶性の顔料にする「レーキ顔料」と構造的に一致する製法であり、江戸の職人がすでにこの化学反応を実践的に体得していたことを示しています。

そして、金継ぎに関わる領域の外にまで目を向ければ、その「化学」の規模はさらに大きくなります。およそ1300年前、奈良の職人たちは朱砂(硫化水銀)から水銀を精錬して金アマルガムをつくり、蒸気圧の違いを利用して金だけを大仏の表面に定着させるという、高度な化学反応をすでに応用していました。「伝統技法=天然素材を使ったひとにやさしい手仕事」という美しい物語は、もはやこの事実の前では成立しません。

伝統技法というのは、無批判に特定の素材や工程に固執することではないはずです。その時代、その時代に得られる最良の知見をもとに、時として危険と向き合いながらも材料を選び続けてきた営みを含めて、伝統と言うのではないでしょうか。

そして、テレピン油をはじめとする溶剤についても、その歩みがここで止まる訳ではないでしょう。今後、さらに研究・開発が進み、安全性や扱いやすさ、コストなどの面でより優れた材料が登場すれば、これもまた新しいものへと置き換えられていく日がくるかもしれないのですから。

Web資料
1. 岡山大学 大学院 教授 高田潤「ベンガラの歴史と材料科学的研究」
2. 戸田工業と(一財)沖縄美ら島財団、首里城のベンガラ色を共同で再現
3. e-Gov法令検索「特定化学物質障害予防規則」(別表第一第二十二号/第2条:定義/第38条の3・第38条の4:特別管理物質の措置)
4. 厚生労働省「職場のあんぜんサイト」GHS対応モデルラベル(硫化第二ヒ素)
5. 厚生労働省「平成20年11月の特定化学物質障害予防規則等の改正(ニッケル化合物、砒素及びその化合物)」
6. 東京大学環境安全本部「特定化学物質障害予防規則 対象物質一覧」(H29年12月13日時点、条文に基づく整理表)

参考文献
7. 松田壽男著『古代の朱』學生社(1975年)
8. 『日本農書全集 第53巻』(『塗物伝書』収録)農山漁村文化協会(1998年)

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