偉人に学ぶ金継ぎ。料理とうつわ、そして金継ぎが奏でる絶妙なハーモニーについて。

篆刻家、画家、書道家、漆芸家、料理家、美食家など、さまざまな顔を持っていた北大路魯山人。
その中で、もっとも高い評価を獲得したのは陶芸家としての顔であり、
今もなお回顧展などがしばしば開催され、その作品の人気ぶりは衰えることがありません。

その魯山人は、なぜ作陶を志したのでしょうか。
稀代の美食家であった魯山人は、おいしい食べ物はそれにふさわしい美しさの食器を欲求し、
それに盛らなくては不足を訴えると語りました。
つまり、かねてからの食道楽がエスカレートして、みずから陶芸の道にまで進むことになったのです。

基本的にうつわは、食べ物を盛るという役割を持ってこの世に生まれます。
そして、料理とうつわは車の両輪のようなものだと考え、魯山人はそこに至高のハーモニーを求めました。

であるならば、万が一その片輪であるうつわが壊れてしまった場合、
ただ技術的に何の不具合もなく金継ぎを施せば、それでOKということにはならないはず。
また問題なく使えれば良いというだけでしたら、うつわなら何でも良いと言っているのと同じです。

料理とうつわ、そして金継ぎ。
もしうつわが壊れてしまったのであれば、その3つの調和が高い次元で取られなければなりません。
さらに言えば、料理もしくは茶、酒が供される空間の中で、
金継ぎがどのような美的効果を生むのかまでを考慮し、全体の調和を図る必要があるでしょう。

もしかすると、そこまでは至らないかもしれません。
でも、せっかくの金継ぎが、せめてその場の美しいハーモニーを妨げる雑音だけにはならないように。
それくらいは、きちんと配慮できる金継ぎ屋でありたいものです。

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