マツ科植物のウッドチップ、もしくは松ヤニを蒸留してつくられる無色透明の精油。それが、テレピン油です。その語源は、古代ギリシャ語で「カイノキ(ウルシ科の樹木)」を意味する「terebinthos(テレビントン)」。古代ギリシャや古代ローマでは主に美容目的の香油や、傷の消毒薬として使われていました。また、15世紀のルネサンス期になると純度の高いテレピン油を安定して製造できる技術が確立され、油絵の具を希釈する溶剤としても使われるように。現在では、香水・医薬品・接着剤・洗剤などのブレンド原料として、世界中で幅広く利用されています。
このテレピン油が、オランダから日本に伝わり始めたと考えられるのは1650年頃。西洋医学の受容とともに薬油の需要が高まり、1672年には蒸留方法が指導され、日本人医師が自力でテレピン油を精製することに成功したと記録されています。ただ、当時の日本ではすでに樟脳が国内生産されており、幕府主導の蒸留プロジェクトも途絶えてしまったことで、一般的に普及するまでには至りませんでした。その後、テレピン油が国内で本格的に製造されるのは、明治期まで下ります。
しかし、近年はこれを漆の溶剤として使うことに問題提起する言説を、しばしば目にします。これほどまでに長い歴史を持つ、天然由来の精油であるにも関わらず。もちろん、テレピン油は工業分野でも利用されるため、各種公的機関では化学的な有害性評価がおこなわれています。ただし、これは「すべての物質は毒であり、量こそがその毒性を決める」というパラケルススの格言にもある通り、「どれくらいの量が空気中に揮発すれば危険か」という指標です。テレピン油そのものが危険だという意味ではありません。ましてや一般人が金継ぎで使う程度の用量を想定して、その有害性情報が明記されている訳でもありません。
通常、このように偏った風評が広がる背景には、何らかの因果関係があるものです。まずは以下の表をご覧ください。
| 事例 | 時期 | きっかけ | 定着した社会的イメージ |
|---|---|---|---|
| 水俣病 | 1950年代〜 | 公害事件 | 水銀はすべて猛毒だという誤認 |
| イタイイタイ病 | 公害認定1968年 | 公害事件 | カドミウムに対する恐怖感 |
| ステロイド外用薬 | 1992年 | メディアの偏向報道 | 「悪魔の薬」とまで呼ばれるように |
| アスベスト問題 | 2005年〜 | クボタショック | 触れるだけで発がんするという誤解 |
| 冷凍餃子中毒事件 | 2008年 | 食中毒事件 | 中国産食品への忌避感情 |
人々が過度に何かを恐れたり、忌避したりする社会現象の背景には、このように特定の事件や事故、メディアの偏向報道などが存在するもの。ところが、テレピン油についてはこうした忌避感情を生むきっかけになるような出来事が見当たらないのです。
では、いったいなぜこのような風評が生まれているのでしょうか?
目次
人々の深層心理に刻み込まれたシックハウス症候群への不安
1990年代から2000年代にかけ、新築住宅の高気密化が進む一方で、建材の接着剤などから放出されるホルムアルデヒドをはじめとするVOC(揮発性有機化合物)が大きな社会問題になりました。高気密化に対して換気対策が追いついていなかったため、毒性の高い揮発性物質が室内にこもり、体調不良を訴える人が次々と現れたのです。これにより、厚生労働省はVOCの室内濃度指針値を設定。2003年の改正建築基準法では、こうした建材に特定物質の使用が制限されるまでに至りました。
これが世間を賑わせたシックハウス症候群という社会問題であり、その直接的な原因となったのがVOC(揮発性有機化合物)です。ここで重要なのは、一連の騒動の主役はあくまでも住宅建材に由来するホルムアルデヒドだったということ。しかし、その事実は脇に追いやられ、VOCという言葉だけが一人歩きするようになります。つまり、この事件をきっかけに「VOC=体に悪いもの」という誤った認識が、人々の潜在意識に組み込まれてしまったと考えられるのです。
しかも、厚生労働省が室内濃度指針値を定めているのは、ホルムアルデヒドやトルエン、キシレン、スチレン(発砲スチロールの原料)などの13物質のみ。当然ながら、そこにテレピン油は含まれていません。ただし、室内の空気中に含まれるさまざまなVOCの総量を表す指標、TVOC(総揮発性有機化合物)には、テレピン油の主成分であるα-ピネンやβ-ピネンも他の物質とともに記載されています。
その理由は、これらが森林浴の香りを代表する成分でもあるから。新築の木造住宅や新しい木製家具からは、杉やヒノキの良い香りがします。これもTVOCを構成する要素(揮発した物質)のひとつ。そのため、厚生労働省は「天然材を用いた住宅のような場合は、特定の天然成分が高濃度で測定される可能性が高いことから特別な配慮が必要」だと注記しています。
テレビン油を問題視することで誰が利益を得るのか?
テレピン油に端を発する健康被害の報告や事件・事故、メディアの偏向報道などがあった訳ではない。厚生労働省のシックハウス対策で規制されている訳でもない。にも関わらず、「テレピン油がVOCである」という理由だけで、それを金継ぎに使うことを問題視する風評が生まれている。ましてや、これは最近になって使われ始めたのではなく、およそ100年前から現在に至るまで使われている材料です。これは、ちょっと不思議ではありませんか?
きっと何か裏があるーー。そう感じたら、「カネの流れを追え(Follow the money)」「誰が利益を得るのか(Who benefits?)」です。
ここから先は当事者ではありませんので、あくまでも推測になります。テレピン油について問題提起しているのは、ほんの一握りの事業者だけです。そして、大まかに言えば、その目的にはふたつのパターンがあります。ひとつは、金継ぎセットの販路を拡大するため。そして、もうひとつは競合他社との差別化を図るためだと考えられます。
ある事業者が「金継ぎセットに溶剤は入れない」という判断を下した場合、おそらくその理由は、それが伝統ではないからでも、シックハウス症候群を誘発するからでもありません。そこにある決定的な要因は「物流」だと考えられます。引火性のある溶剤は危険物に該当するため、海外発送は実質不可能。また、在庫を保管するにも余計なコストがかかります。金継ぎセットの販売をグローバル展開したい。利益を最大化させたい。しかし、それを実現するにはテレピン油などの溶剤がネックになる。そう考える事業者がいても、不思議ではありません。
そして、もうひとつのパターンは競合他社との差別化。VOCや化学物質を一切使わない金継ぎを提唱する、一部の事業者が主導しています。しかし、その考え方は古代ギリシャの時代から科学・哲学の分野において、構造の欠陥があると指摘されている「自然への訴え(Appeal to Nature)」という概念そのもの。「自然なもの=良い・安全・正しい」「人工的なもの=悪い・危険・間違い」という前提にもとづいて結論を導く、論理的に無効とされる推論パターンです。にも関わらず、ゼロリスク信仰が根深く息づいている現代社会において、これは一定の訴求効果を発揮します。
つまり、1990年代から始まったシックハウス問題によって、すでに人々の潜在意識に刷り込まれていた「VOC(揮発性有機化合物)=体に悪いもの」というイメージ。それが、一部の事業者それぞれのマーケティング戦略において、意図的に利用されたと考えられるのです。
罪なきテレピン油をスケープゴートにする巧妙なレトリック
多くの人がなんとなく持っている「VOC=体に悪いもの」という既存のイメージ。このVOCというカテゴリーに入れてしまえば、「VOCは有害である、つまりVOCであるテレピン油も有害である」という印象を、有害だと断定することなく消費者に与えることができる。マーケティング担当者は、おそらくこのように考えたと推測されます。
すでにこの時点で、議論の対象が「テレピン油」という個別物質から、VOCという「カテゴリー全体」にすり替えられていることがお分かりでしょうか。これを、論理学では「分割の誤謬(fallacy of division)」と呼びます。ちなみに誤謬(ごびゅう)というのは、「もっともらしく聞こえるけど、じつは筋が通らない理屈」のこと。さらに、ここではシックハウス問題によって醸成されていた「VOC=体に悪いもの」という既存の風評を利用しています。これを、同じく論理学では「連座の誤謬(guilt by association)」と呼んでいます。
この誤謬を使えば、「エタノールはVOCである。だから消毒液として使うのは危険だ」という結論を導き出すこともできてしまいます。では、なぜ「エタノールはVOCだから消毒液として使うのは危険」という論理は成り立たないでしょうか。それは、エタノールという個別物質の特性を完全に無視しているからに他なりません。まだ記憶にも新しいコロナ禍において、私たちは1日に何度も何度もエタノールで消毒をしてきました。誰もが自分自身の経験知として、そこまで気にするような健康被害はないと分かっています。そこで違和感を感じて、よくよく考えてみる。そして、これが屁理屈だということに気づくのです。
ただし、実際に厚生労働省の『職場のあんぜんサイト』で公開されているGHS対応モデルSDSを見ると、エタノールには以下のような危険有害性情報が明記されています。
- 引火性の高い液体及び蒸気
- 眼刺激
- 呼吸器への刺激のおそれ
- 眠気又はめまいのおそれ
- 発がんのおそれ
- 生殖能又は胎児への悪影響のおそれ
- 長期にわたる、又は反復ばく露による肝臓の障害
- 長期にわたる、又は反復ばく露による中枢神経系の障害のおそれ
どこかで見たことがありませんか?
そう、テレピン油について解説されている記事では、必ずと言っていいほど引用されている有害性情報です。これだけを見せられると、エタノールも非常に危険な物質のように見えてきます。ここで思い出してほしいのが、「すべての物質は毒であり、量こそがその毒性を決める」というパラケルススの格言。これは毒性学の基本であり、どんな物質であっても用法・用量によって毒にもなれば薬にもなるという意味です。身近にある塩や砂糖だって、過剰に摂取すれば毒になるというくらい、本当は誰しも経験として分かっていることでしょう。
要するに、誰もが日常的に使うエタノールでさえ、用法・用量を間違えば健康被害が出る恐れがある。もちろん、それはテレピン油だって同じ。しかし、一部の論説では「適正な用法・用量」について一切触れず、こうした有害性情報だけを切り取ることによって、「テレピン油は有害である」という印象を形成しているように見受けられるのです。
これは、1930年代にアメリカのプロパガンダ分析研究所(IPA)が発表した「カードスタッキング(Card Stacking)」という古典的な手法そのもの。都合の良い事実だけを並べることで結果的に「半分の真実(half-truth)」、つまり部分的には本当だが全体としては人を欺く言説をつくり上げる典型的な手口です。また、ここには同じくプロパガンダの古典的手法である「転移(Transfer)」も使われています。厚生労働省や食品衛生法、消防法、伝統などの言葉が必要以上に登場するのは、これらの権威を利用することで持論に真実味を加える効果を狙っているものだと考えられます。
詭弁を使ってまでマーケティングを展開することへの違和感
ほんの一握りの事業者がそれぞれのマーケティング戦略において、結果として金継ぎにテレピン油を使うことを問題視する風評を生み出しているのではないか。その仮定からスタートし、ひとつひとつの言説を論理学的に検証してきました。もし目的がマーケティングではないとしたら、どうしてこれほど手の込んだ誤謬や心理的訴求の手法を使ってまで、消費者の印象を操作する必要があるのでしょうか。これは外部から観察した上での推論に過ぎませんので、一部の事業者が本当のところ何を考えているかは分かりません。ただし、ひとつだけ見過ごせない点があります。
それは、本来は複雑かつシームレスである現実を、AかBという単純な二元論に落とし込む「誤った二分法(False dichotomy)」を採用しているということ。自然か人工か。安全か危険か。伝統的か非伝統か。そして、主流か邪道か。物事を巧妙なレトリックによって単純化し、こうした現実にはそぐわない二者択一を消費者に迫っているのです。これは、ひと言で言えば無用に「分断」を生む行為そのものだと言わざるを得ません。
室町時代に成立した茶の湯とともに、その歩みを進めてきたと言われる金継ぎ。千利休が侘び茶を大成した頃になると、茶の湯は仏教(禅)との結び付きを一層深めていきます。つまり、茶の湯からの要請を受けて発展してきた金継ぎには、茶人たちが重んじる禅的な精神性や美意識が求められたことは容易に想像できます。
この禅における重要な概念のひとつが「不二」。私たち人間は往々にして善と悪、生と死、美と醜、自分と他人といったように、二元論的な見方に陥りがちです。そして、「迷い」はつねにこの二元の境にある。だからこそ、禅では「不二」の境地をめざして修行を重ねるのです。茶禅一味と言われるように、この思想は茶の湯にも深く受け継がれていきました。そして、茶の湯によって育まれてきた金継ぎもまた、二元を超えて「不完全さ」をそのまま受け入れる禅の精神に通じる文化として、現在では世界中から大きな注目を集めるに至ったのです。
一度は分断されてしまった、つまり壊れてしまったものを修復し、その傷跡までを不完全さの象徴として見せる。それこそが、金継ぎが体現する価値のひとつではないでしょうか。にも関わらず、当の金継ぎに関わる一部の事業者が「誤った二分法(False dichotomy)」を用い、まったく不必要だと思われる分断を生み出すマーケティングを展開する。これがビジネスであることは理解できます。しかし、金継ぎが大切にしてきた価値観とは相容れない手法を使うことだけには、どうしても強い違和感を感じずにはいられないのです。
1. ヴォルフガング・ミヒェル『近世日本における本草学の自立について』
2. 厚生労働省「室内濃度指針値一覧」
3. 厚生労働省「総揮発性有機化合物(TVOC)の空気質指針策定の考え方について」
4. 厚生労働省「職場のあんぜんサイト」GHS対応モデルラベル(エタノール)
掲載画像
5. 一魁斎芳年『和漢百物語 大宅太郎光圀』,慶応1. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1311781/1/1







